人は、二度生まれる。一度は、存在するために生まれ、もう一度は、生きる目的を見つけた時生まれる。 ─ レゾンデートル≪存在理由≫ 心が漂流している人達へ ─ 臨死体験をした一人の男の物語

心が漂流している人達へ ─ 臨死体験をした一人の男の物語 ─
再び戻って来たその男の人生は、一変していた ─ 神の御旨を知る方法


質 問:あなたは、使命感と情熱を持って人生を歩んでいますか? ただ、ぼんやりと生きていませんか? 社会の巨大な渦になすがまま流されていませんか? 自分の人生の目的や、生き甲斐が何なのか、まだはっきりとつかみきれていないため、幸せを実感していないのではありませんか? この世の何かに取りつかれ、執着し、脱出したいのに、自制したいのに、心の弱さゆえに、中毒患者のようになっていませんか?

 ヒント:ファーストインスピレーションを大切にし、創造的、建設的なイメージを常に持ち続けます。 口から出るあなたの言葉は、あなた自身の一部です。 発せられたその言葉、ゆくゆくは、責任や犠牲、いつか神の前での弁明が伴います。 今日一日の仕事・健康・将来について良い意向と、希望を持って話 (告白) します。 悲観的自己投影ではなく、成長・良い面に注目し、ポジティブイメージを育み続けます。 健全(善)な思考と、心を養う努力をします。

 役に立つ言葉を暗記し、ことあるごとに復唱します。
 平安と確信が与えられるまで、神に祈り続け、且つ、神は、必ずそうして下さると、感謝の言葉で告白し、信頼 (信仰) を持って先取りします。
 実にこれは、あなたにとっての 「パーソナル リアリティー」 となります。
 奇蹟は、既にあなたの内に内包しています。
 なぜなら、神は、全ての人が、聖人になることを望んでいるからです。
 神は、人をご自身に似せて創られ、はじめに 聖 とされたからです。


 ※ パーソナル リアリティー とは?:Personal Reality 『自分だけの現実』、とある魔術の禁書目録に使用されている専門用語。 能力者が持つ独自の感覚で、超能力を発動するための土台、現実の常識とはズレた世界を妄想したり、信じる力。

 ≪ 特効薬 ≫
  聖マテオの福音書6章31〜34節
  「何を食べ、何を飲み、何を着ようかと心配するな。 ・・・
  まず、神の国とその正義を求めよ。そうすれば、 それらのものも加えて与えられる。明日のために心配するな。 ・・・ 一日の苦労は、一日で足りる。」


  聖パウロのテサロニケ人への第擬蟷罍款錬垣
  「実に神の御旨は、あなたたちが 聖 となることにある。」


  聖ヨハネの第気亮蟷3章1,2節
  「考えよ、神の子と称されるほど、御父から計りがたい愛を受けたことを。 私たちは神の子である。」


  聖ヨハネの黙示録19章4,5節
  「24人の老翁と四つの動物はひれ伏して玉座に座る神を礼拝し、 『 アメン、ハレルヤ 』 と言った。
  ・・・ 『 神のしもべたちよ、小さな者も偉大な者も、神を恐れる者よ、私たちの神をほめ歌え 』
    と言った。」


  聖ヨハネの黙示録21章5節
  「夜はもうない。主なる神が彼らを照らされるので、彼らは灯りも太陽も必要とせず、そして代代に君臨する。」



 人間が創造された目的は、自発的に心から神を賛美し、礼拝することと、神に愛され、また、神を愛する関係 (神の家族) となることにあります。 それは、神と共に永遠に君臨します。


 【神の御旨を求める】

 聖パウロのローマ人への手紙12章1,2節
 「それでは兄弟たちよ、あなたたちの体を生きた清い神に嘉せられるいけにえとしてささげるように、私は神のあわれみによって、あなたたちに勧める。 それは道理にかなった崇敬である。 この世にならわず、かえって神の御旨は何か、神の御前に、善いこと、嘉せられること、完全なことは何かをわきまえ知るために、考え方を改めて自分を変えよ。」


 聖ルカによる福音書22章42節
 「父よ、御旨ならば、この杯を私から遠ざけて下さい。 しかし、私の意のままにではなく、あなたの御旨のままに。」


 原 則:神は、私たちの必要を声に出す前から御存知です。
    ですから、 「主の祈り」 によって、まず神の御旨が成就することを祈り、そして、あなた自身の必要も告白します。 感謝することを忘れないことです。 賛美することはなお、良いことです。 もし何か、咎めを感じたら、正直に神に対し、罪の赦しを願うことです。 神は、無限に、赦す御者です。 人に対して遺恨(恨みや憎しみ)を残しては、なりません。 (自分に対して為された、その人の罪を赦しなさい、そして、忘れなさい。) 精神的病にかからないためにも忘れるようにすることです。 なぜなら、神は、あなたの罪を赦されると、あなたが犯した罪の一切を忘れてくださるからです。



 月影千草
 「 あなたには わからないのよ 真澄さん 」
 「 情熱をかけられる何かがあるってことの幸せが ・・・ 」
 「 ただ生きるだけならゴキブリやネズミと同じこと ・・・ 」
 「 " 生きがい " ・・・ 命をかけられるもの ・・・ 」
 「 これがなくなったら 死んでしまうかもしれない 激しいもの 」
 「 どんな人間でもなにか生きてる価値がある 」
 「 あの子の場合 それは 演劇 」
 「 あの子から 演劇をとったら なにもないただのつまらない女の子になってしまう 」
 「 ただ時をすごすだけの人生を生きるでしょう 」
 「 " 生きがい " があるということは 人間として生きることの価値を 自分でみいだすことです 」
 ( 「 ガラスの仮面 」 − (5) 舞台あらし 155〜156 − )

 北島マヤ
  「わかっているのは お芝居をしていると なんだか胸の中が熱くなって 勇気がわいてくるの ・・・ 」
 「 ああ あたしには これができるんだって 思いが 体中をかけめぐって ・・・ 」
 「 ああ あたしは 生きているんだなって 気がするの ・・・ 」
 ( 「 ガラスの仮面 」 − (7) 炎のエチュード 127 − )



 心理学の専門家が、キリストを信じる3人の女性に質問しました。
 「もし、あなたが手遅れのガンに侵され、 『あとひと月の命だ』 と宣告されたとします。 残された1ヶ月をあなたならどのように過ごしますか?」

 サロメ:「持っているお金を毎日、美食と遊興にあてて、全部使い果たして
      心おきなく楽しく過ごします。」

 マルタ:「真っすぐ天国に行きたいので、罪の償いとして、人のために奉仕し、
      一生懸命 善い事をして過ごします。」

 マリア:「お裁縫をひと針 ひと針、その日一日の勤めを いつもと変わりなく、
      心を込めて過ごします。」

 さて、あなたなら何と答えますか?



 朝、目を覚ました瞬間から床につき 就寝するまで、その日一日の労働と食事、通勤・通学、お掃除、洗濯、お茶のひと時、ets ・・・ ごく当たり前の、つい何気なく過ごしてしまう一日24時間を心を込めて、情熱を持って意識的に過ごすということは、何と乏しいことだろうか。
 今振り返ってみると、幼い頃は、一日1時間が、とても長く感じたものだが、思春期の頃は、大人になりたくなくて いつまでも ( 遊んでいたいがために ) このまま成長せずに時間が止まっていてほしい、と願ったものでした。
 社会人になると、仕事に追われ、一年があっという間に過ぎていきます。
 気がつくとすでに片足を死の淵にかけているではないか!
 自己の存在理由、存在価値を改めて問いただし、これでいいのか?
 本当は、もっと、別な何かを求めて生活すべきではなかったのか?
 と、自問自答しつつも “ これでいい ” , “ もう遅い ” などと 言い聞かせながら、それ以上、自分を見つめ直すことに目を閉じ、ただひたすら時間の流れに身をまかせてしまっている。 ・・・・
 “ 過去のあの時点に戻って、やり直すことはできない ” と、あきらめてはいないだろうか?


─ 臨死体験をした一人の男の物語 ─

 臨死体験をした一人の中年男がいました。
 彼は突然、くも膜下出血と言う恐ろしく激痛の伴う病に倒れ、緊急入院しました。 病院に運ばれた時には、すでに昏睡状態で虫の息でした。そして、臨終。
 医者が、臨終を確認してから2日目の朝のこと、霊安室で奇蹟的に彼は、蘇生しました。
 月日は経ち、リハビリも終わり、病院から退院して、社会復帰ができるようになりました。 その男は、新たな仕事に就き、人が変わったようにつつましく働くようになっていました。 そのひたむきな誠実さは、以前の彼を知っている知人を驚かせました。

 とうとうその知人は、彼にどういう心境の変化が起きたのか尋ねました。 ちょうど公園の傍を歩いていた二人は、ベンチを見つけて腰をおろし、しばらくすると、その男は、青空の中を流れる遠い雲をながめながら、恥ずかしそうに、話し始めました。

 「こんなことを言っても、たぶん誰も信じてくれやしないだろうけど、・・・
 臨死体験をしたんだ。 ・・・ その時、確かに “ 神の声 ” を聞いたんだ。・・・
 あの時、頭が割れるほどの耐え切れない激痛に襲われ、床に倒れて転げまわっているうちに そのまま、すーっと、気を失っていったんだ。
 どのくらいの時間が経っただろうか? ・・・
 あたりは真っ暗な闇 ・・・
 何も感じない、何もない。 ・・・
 突然、真っ白な空が現われた。

 記憶のどこか遠くで、電波の届かないラジオのように かすかに音がしていた。
 耳から聞こえるんじゃなくて、直接、心に記憶されるようになんだ ・・・・。
 ふと気がつくと、目の前に門があった。 ・・・
 声なき声で直観的に理解させられるんだが、それは、 “ 天の門 ” だとわかった。
 中に入りたくて、閉ざされた扉を叩いたんだ。 ・・・
 しばらく叩き続けたんだが、 ・・・ しかし、開かないんだ。
 堅く閉ざされた扉の前で、恐ろしいほどの沈黙と、寂しさがこみ上がってきて、止め処もなく涙が流れ、とうとう泣きながら大声で叫んだんだ。
 『 開けてくれー!開けてくれー! 』 ・・・ ってね。
 どのぐらい経ったのかわらないほど長く感じた ・・・
 うまく言い表わせないんだが、数ヶ月を過ごしたかのような感覚にとらわれるんだ。 ・・・ あの後、
 “ 神の声 ” が、直接心に はっきりと 静かに 語りかけてきたんだ。
 あれは、確かに “ 神の声 ” だった。
 今でも心に 焼き印 されているかのように、鮮明に残っている。 脳に音として記憶されるんじゃなくて、骨髄の奥に ・・・ そうだな、魂に直接 “ 像 ” として消えることなく、はっきりと、刻まれている、 ・・・ それは、今でも鮮やかに残っている。」

 「それで、君になんて言ったんだ?」

 と、知人は、すぐさま催促して聞きました。
 その男は、知人の方に顔を向け 意味深な微笑みを浮かべて言いました。

 「何て言ったと思う?」

 知人は、全く予想もつかない質問に困り果てた顔つきで、 「 ・・・ 」 沈黙していた。
 陽が、西の空に傾きはじめていました。 しばらくして、その男は、高く遠い空の一角を見上げながら、ゆっくり思い巡らすかのように また、話し始めました。

 「 こう言ったんだ。 ・・・

  『 おまえは、地上から取り去られるまでの生涯、私の為に何をしたか? ・・・ 
 もし、胸を張って答えられることがあれば、この扉を開けてやろう。 』 ・・・

  その言葉の意味が解るや否や、私がしてきた地上でのすべての行いが、まるで 一瞬に見せつけられる映像のように心をめぐり、そして、すぐさま悟ったんだ。 ・・・
  神のために誇れるようなことも、喜んでもらえるようなことも、何一つしていなかった。 ・・・
  すべて、自分の欲のためだった。 自我自賛、自己満足、自己中心の独り善がり、あえて自分を犠牲にして神のために、人のために耐え忍んで行うことなど、ひとつもなかった。
 いつも、見返りを求めていた。 私は、凍ったように答えられなかった。 ・・・

   “ 何にもない ”

  そう、心で呟いた瞬間、

  『 何もないのか? 』 ・・・

  “ 神の声 ” がした。 ・・・

  それから、壮大な天界の空にはっきりと神の御手によって書かれていく文字が見えた。 ・・・
 読むことは 出来なかったが “ 霊 ” が、直観的に何と書かれてあるのか、その意味を悟らせてくれた。
  そして また、 “ 神の声 ” があった。 ・・・
  『 もうしばらく、おまえに地上での時間をやろう。 行きなさい。 』」

 その後、その男は、神が書かれた文字の意味を知人に解き明かしました。
 地上に戻って来てから自分の身に起きた出来事をも話しました。
 ある日の夕方、ふとしたきっかけで出会った青年の手から一冊の書物を受け取り、その本から引き寄せられるように読み進む中、天空に神が書かれた文字と同じ文章を見い出し、釘付けられたようにしばらく立ちつくしていました。
 そして、どれほど歓喜し、驚愕し、心踊ったことか、などを ・・・ 。
 さらに 別れ際、ひとりごとのように彼は、知人に言いました。

 「いつかまた、神にもう一度、会いま見える時が来るだろう。 ・・・
 その時こそ、言い逃れることは、出来ない。
 ただ、 神の憐れみにすがるだけだ 。 ・・・
 ああ、なんと大きな負債を負っている事か、どんなに尽くしても、尽くしきれない。 ・・・
 それでもなお、 “ 希望の火 ” が、くじけそうになる私の心を再び、燃やしてくれる。 ・・・ 」

 夕闇迫る公園、ほとんど沈みかけている太陽の光が、わずかに差し込んでいました。 涙を浮かべている男の目を一瞬照らして儚く消えてしまった時、彼の憂いとは裏腹に、その瞳は、かすかな喜びをのぞかせていたように見え、そのまま、すーっ と、闇につつまれていきました。


 「まことに私は言う。あなたたちが私の兄弟であるこれらの小さな人々の一人にしたことは、つまり私にしてくれたことである。」
 −聖マテオの福音書25章40節−


 「まことに私は言う。あなたたちが悔い改めて子供のようにならないなら、天の国には入れぬ。 ・・・ また私の名のために、こういう子供を受け入れる者は、私を受け入れる。」
 −聖マテオの福音書18章3,5節−


 「私に向かって 『主よ、主よ』 と言う人がみな天の国に入るのではない、天にまします御父の御旨を果たした人が入る。」
 −聖マテオの福音書7章21節


 「私のおきてを保ち、それを守る者こそ私を愛する者である。 私を愛する者は父にも愛され、私もその人を愛して自分を現す。」
 −聖ヨハネの福音書14章21節−


 「だれでも、私に従おうと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を担って、従え。」
 −聖マテオの福音書16章24節−



 「希望は、決して失望に終わることは無い。」
 そして、二千年も前に十字架上で死を遂げたイエズス・キリストの全人類に対する罪の贖いは、過去の時代の人々のためだけではなく、今の現代人にも、現在形にして有効です。 (あなたの、罪が、イエズス・キリストを十字架に押しやり、磔たのです。) それ故、再び、イエズスの聖血と水によって、信じる者を 聖 とされます。


 ガブリエル司祭
 「 ・・・・ 多くの良い決心をした後に、また同じ過ちに落ち、いくら努力してもある欠点に打ち勝てず、ある困難には、打ちのめされ、どうしてみても、あなたがそうあるべき、あるいは、そうありたいと望むもの以下であるのに気付いたならば、 “ 謙遜 ” という特効薬に頼るが良い。 力は、尽き果て、万事に無力で絶えず倒れ、しかも、起き上がる事ができない と、感じる時でさえ、あなたには、いつでもできる事がひとつある。
 すなわち、へりくだる事である。
 心の底から、そして、信頼を込めて、へりくだるがよい。 謙遜は、あなたのすべての惨めさを補い、すべての傷を癒すだろう。 謙遜は、あなたの惨めさ や 傷の上に、神の憐れみを 呼びくだすからである。」

 シラ書35章17,18節
 「へりくだる人の祈りは、雲をつらぬき、主に届くまでは、慰めを知らない。 いと高き御者が かえりみ、正しい人に正義が返され、公正になるまで、その祈りは、休まない。」

 聖ベルナルド修道院長教会博士
 「 純潔において、マリアと等しくなることができないなら、せめてその謙遜にならいなさい。 童貞性の徳は輝かしい。 しかし、謙遜は必要である。 前者は、単なる勧めにすぎない。  『 受け入れることのできる人は、受け入れなさい 』 (聖マテオの福音書19:12)。 しかし、後者は、絶対命令である 『 あなたたちは幼子のようにならなければ、けっして 天の国には入れない 』 (聖マテオの福音書18:3)。 したがって、童貞性は、報いられるが、謙遜は、要求される。 童貞性なしにでも救われることはできるが、謙遜なしには、救われない。 マリアの童貞性でさえ、謙遜なしには、神の聖心にかなわなかっただろう。 もちろん、マリアは、その童貞性によって神の聖心にかなったが、謙遜によって、母となったのである。 」

 ※ 常に、「神に導かれていると、神が共にいてくださると、神が正しい道を選んで下さっていると、神が道なきところにも 道を備えて下さっている と、信じています。」
 と、告白してください。 たとえ、疑いの呟きが、あなたの心に こだましても、それらの声を退けなさい。 自分にやましいところがあるのなら、神に罪を告白します。 祈りの妨げと感じたら、たとえ、小さなことでも、思い出されることは、何でも告白して、赦しを 神に願います。 それから、希望する祈りを 大胆に捧げます。 そして、ためらわずに 何度も、神に対して信頼の告白をしてください。 神の正義・善・愛を追い求めるようにします。 また、神への感謝を忘れないで下さい。 祈った事は、すでに叶えられたと、信じて、神に感謝するのです。 そして、成就するまで、あきらめずに絶えず、祈るのです。 神のみ旨にかなった祈りは、必ず、神からの平安がやってきます。 義人の祈りは、神の御座に祈りが、届くまで、休みを知りません。

 聖主の仰せられた通りになると、堅く信じなさい。
 あなたの心の中でもう一人のあなたの声が、否定し、批判し、消極的な考えを提供されても 受け取ってはなりません。 それは、悪の囁 (ささや) きであり、真理の霊、善の声 ではありません。 あなたのもう一人の “ 良心の声 ” に耳を傾け、従いなさい。

 聖マテオの福音書15章27〜28節
 「 『 そうです。 けれども主よ、子犬も主人の食卓から落ちるパンくずを食べます。 』
 と、婦人が言うと、イエズスは、 『 ああ女よ、あなたの信仰は深い。 望みどおりになれ。 』
 と、言われた。 娘は、その時治った。 」

 聖マルコの福音書5章34節
 「 娘よ、あなたの信仰があなたを救った。 安心して行きなさい。 あなたの病気は治った。 」

 原 則:永遠の生命は、死によって始まるのではなく、すでに永遠の中に存在しています。 ただ、あなたの霊魂が、死んだ状態であれば、あなたは、肉体の死と同時に 霊魂も永遠に死にます。 イエズス・キリストを信じて洗礼を受けることは、霊魂が、永遠の命を受け、死から生へとよみがえり、肉体の死と同時に 霊魂は、永遠の生命をもって天国において生き続けます。
 人は、二度生まれなければ、天国に入れません。 一度は、この世に肉体の生を受けるために、二度目は、死んだ状態の霊をよみがえらせるために 洗礼によって生まれる (再生する) 必要があります。 生命は、肉体的死によって形を変えるだけであり、ちょうど毛虫が、蛹 ( さなぎ ) へと、蛹から蝶 ( ちょう ) に変わるのと同じように、より良い状態に 「完全変態」 します。 自然界には、多くの真理が、目に見える形で 隠されています。 しかし、 神の霊的助けなくして 真理を見出すことは、極めて稀なのです。 人生の価値は、その人が、 「 何をしたのか? 」 という経歴ではなく、 「 誰と共に歩んだのか? 」 と、言うことにつきます。 手本となられた 聖主の後姿を 思い巡らし、へりくだって ついて行くことです。 そして、聖主は、エンマヌエル ( 神は、 われわれと ともにまします ) の神ですから、あなたと 共に歩んで下さいます。 決して、見捨てることは、ありません。



イエズスの御血のサンプルについてロン・ワイアット氏の証言




参考文献
「積極的考え方の力−ポジティブ思考が人生を変える−」
ノーマン・V・ピール著 桑名和央+市村和夫訳(発行所:ダイヤモンド社)


バルバロ神父訳「聖書」(講談社)



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
著者:baramado
「大警告&ヨハネの黙示録」
▼URL baramado 薔薇窓 ブログ
http://baramado.jugem.jp/
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




スポンサーサイト

  • 2017.12.15 Friday
  • -
  • 18:05
  • -
  • -
  • -
  • -
  • by スポンサードリンク


最近の記事

categories

recent comment

  • 新しい「ローマ・ミサ典礼書の総則」に基づく変更箇所 “ 一致 ” の名の下に 「 奉献の時、立って拝む ( 跪き禁止 ) 」 :事実上、悪魔崇拝のブラック・イルミナティの支配下、偽教皇・反キリスト側に堕ちた日本のカトリック教会
    baramado (05/31)
  • 新しい「ローマ・ミサ典礼書の総則」に基づく変更箇所 “ 一致 ” の名の下に 「 奉献の時、立って拝む ( 跪き禁止 ) 」 :事実上、悪魔崇拝のブラック・イルミナティの支配下、偽教皇・反キリスト側に堕ちた日本のカトリック教会
    GIMONari (04/12)
  • 核による第三次世界大戦を始めるため米国務省&オバマ大統領は、ロシア国内で同盟関係にあるISISの部隊を使って、テロによる攻撃を実行に移そうと画策している
    baramado (07/09)
  • 核による第三次世界大戦を始めるため米国務省&オバマ大統領は、ロシア国内で同盟関係にあるISISの部隊を使って、テロによる攻撃を実行に移そうと画策している
    ベルナデッタ京藤洋子 (07/01)

links

profile

search this site.

PR

others

mobile

qrcode

powered

みんなのブログポータル JUGEM