アダムから芽生えた「生命の木:生命の樹」は、十字架の木になったと言う物語 「生命の木の上のキリスト」と十字架の因果関係:錬金術で言う真の「賢者の石」,「ヘルメスの杖」 十字架称賛の祝日の由来

タッデオ・ガッディ「生命の木と最後の晩餐」(部分)
タッデオ・ガッディ「生命の木と最後の晩餐」(部分)
フィレンツェ,サンタ・クローチェ聖堂美術館1360年頃
Taddeo Gaddi[Albero della Vita e UltimaCena.]


 この壁画のある建物は、元来、修道院の食堂でした。
 ガッディが意図したものは、物語性ではなく、上の『生命の木』に現れているように、象徴としての図解でした。
生命の樹』は、フランチェスコ修道会の教団長をつとめた聖ボナヴェントゥラ(1217年頃〜1274年頃)の同名の著作を図解したものです。
 キリストが、磔になっている十字架に両手を差し伸べているのは、聖フランチェスコです。その右で巻物に筆を走らせているのが、聖ボナヴェントゥーラです。ここで修道士たちが、食事をしながら、『最後の晩餐』と、これらの場面を見て、キリストやほかの聖人たちに思いをめぐらすためでした。

 今日は、十字架称賛の祝日(9月14日)です。
 十字架の木のルーツは、アダムの墓から芽生えた木です。
 それゆえ、イエズスの架けられた木は、のろいの十字架ではなく、「祝された木」となったことを神の遠大なご計画と因果の物語をご紹介します。


パチーノディボナグイダ「生命の木の上のキリスト」14c
パチーノ・ディ・ボナグイダ「生命の木の上のキリスト」(イタリア14世紀初頭)



 この絵は、元来フィレンツェのサンタ・キアラ修道院のために描かれたものです。聖ボナヴェントゥラの宗教書「生命の樹」を主題としています。
 その書では、12章にわたってキリストの生誕、受難、賛美をめぐる神秘をたどります。

 救いのご計画は、受難と悲しみの道を通って−祝福と喜びと幸せ−に入るものです。
 例外は、ひとつもありません。

 この絵では、それらは、「生命の木」の「12の枝」であらわされています。
 それぞれメダイヨンで飾られていますが、

 下の四本の枝は、キリストの出生にかかわる場面
 中央の四本の枝は、キリストの受難
 上の四本の枝は、キリストの賛美を描き出しています。

 最上部には、聖母とともに至福のうちにあるキリストがおり、そのすぐ下には、天使および聖人たちが並びます。

 十字架の頂きに、預言者ダ二エルと預言者エゼキエルに はさまれて、1羽のペリカンが憩いますが、それは、キリストの自己犠牲をあらわす伝統的な象徴です。

 最下部には、「創世紀」に由来する8つの場面が描かれ、そのすぐ上左側には、聖モーセと聖フランチェスコ、右側には、聖ヨハネと聖クララ:キアラが描かれています。


 はじめに、この物語は、

  カバラのセフィロト
  錬金術の「ヘルメスの杖」:カドゥケウス
  「賢者の樹」
  北欧神話の宇宙樹:イグドラシル
  クンダリーニ(ヨーガ)の世界軸:アクシス・ムンディのチャクラとミクロコスモス
  曼荼羅など悪魔側の秘義秘教の類い

 では、ありません。

 もし、そうだとしたら、キリストの磔刑像は、意味を見い出しません。
 もし、多くの錬金術者が、真理を知っていたら、錬金術の十字架(ヘルメスの杖)に旧約聖書のモーゼのごとく青銅のヘビを架ける事はなかったでしょう。
 それは、イエズス・キリストの磔刑像に代わっていたでしょう。
 燃えるヘビは、旧約聖書の象(かたど)りですが、木に架けられて完成させたのは、イエズス・キリストなのですから、── 完全な錬金術は、イエズス・キリストの磔刑像でなければ、完成させることはできないでしょう。
 しかし、それを悟り行える者は、キリストを信じる者のみです。
 なぜなら、キリストの内に霊魂の再生・不死・永遠の命が、あるからです。

 この物語は、上記の悪魔側とは、全く正反対のキリスト教的正立の「木」、天の御父とよばれる神様側のお話です。

 これに対して、

“さかさまの「樹」”いわゆるインドの聖典
  『ヴェーダ、ウパニシャッド(カータ・ウパニシャッド)』
  を起源とする神に逆らうイメージを持っているのが、カバラセフィロト〜曼荼羅までの秘義秘教のたぐいとなります。ここでは、上記の詳細を解説せずに省略させて頂きます。



 アダムから始まる「十字架」の木の由来と『生命の木』


 932歳のアダムは、死にかけていました。アダムは、彼の子セツをそばに呼び、楽園に戻り恵みの油を取ってくるようにと依頼します。

 セツは、父親に教えられた道をたどっていきます。

 ・・・エデンの園に近づくと、大気は、音楽と草花の香りで満ち、彼を包み込む美に陶酔してしまうほどです。

 その時、突然、彼の前に一本の火が、垂直にきらめきました。それは、楽園の入口を守る大天使聖ミカエルの炎の剣でした。

 「神は、人間を追い出してから、エデンの園の東に、ケルビムと炎をはなつジグザグ型の剣(稲妻の象徴)とを置き、生命の木への入口を見張らせられた。」(創世記3:24)

 セツが、跪き、一言も発することができずにいると、聖ミカエルは、セツの使命を悟り、彼にアダムの赦しは、まだ来ていないと告げられます。

 「アダムの背反によって閉ざされた門を救世主:イエズス・キリストが、開くには、4,000年を経過せねばならない。ただし、未来の赦しのしるしに、一本の木が、アダムの墓より生えるだろう。その木によって人類の救済は、果たされます。」

 と、聖ミカエルは、言います。

 聖ミカエルは、それからセツを招き楽園を三度見せました。
 最初にセツは、4つの川の出会う地点に偉大な湖を見ます。その背後には、枯れて樹皮のはげ落ちた木が、一本立っていました。

 二度目には、おそろしい蛇が、その木の幹のまわりに巻きついているのを見ます。その木は、奈落の深淵の上にかかっており、奈落の底では、彼の兄弟カインが、体に侵入してくる木の根に絡まってもがいていました。
 セツは、恐怖に襲われて目をそむけました。

 三度目には、巨大な木が、一面に広がり天にも達するのを見ます。その頂きの枝には、不思議な子どもがおり、頭上をめぐる7羽の白い鳩を見つめていました。

 聖ミカエルは、セツに、

 「この子どもこそ、第二のアダムであり、人類すべての罪を贖う未来の救世主であられます。」

 と告げます。

 聖ミカエルは、最後に、その巨大な木より三つの種子を取り、セツに与えて言いました、

 「三日経って戻ると、アダムは、死ぬだろう。そうしたならば、その種をアダムの舌の上に置くようにしなさい。」

 「エッサイの株からひとつの新芽が出、その根からひとつのひこばえ:若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる」(イザヤ書11:1〜2)

 セツが戻って、事の一部始終を話すと、アダムは、楽園追放以来、はじめての笑顔を見せます。
 アダムの死後、彼の体より糸杉と松とヒマラヤ杉の三本の木が、生えます。時が、経つにつれ、それらの木の枝は、互いに触れ合い、根は、絡み合って、一本の巨大な木となりました。
 それは、レバノン全体で最も高貴な木となりました。
 時代は流れ、その高貴な木は、人類の重要な歴史の節目に介添えします。
 ある時は、ノアの方舟の材料ともなりました。
 モーセは、その木をタボル山に移植し、それから伐った枝を杖とし、イスラエルの民が、ファラオの軍隊から逃れられるように紅海を二つに割ったり、荒地の石から水を湧きださせたり、枝の上に青銅の蛇をかかげて、それを見る者すべてを人を焼く蛇(毒蛇)の難から救ったりしました。
 それはまた、アロンの杖でもあります。

 さらなるのちの世に、ダビデ王は、その木の下で自分の犯した罪を嘆き悲しみ、ソロモン王は、それを宮殿の主柱にしようとしますが、その木から採った柱は、勝手に高さを変えてしまいます。

 ソロモン王は、怒って、小川の渡り板とし、足で踏みつけましたが、シバ(シェバ)の女王は、木の美徳を認め、それに足を乗せず、川の中を渡られました。
 最後にソロモン王は、その板木を埋めて、池を掘りました。その池は、不思議な力があって、病人や不具者が、水浴びすると癒されて帰っていくのでありました。 シロアムの池は、ここから由来するのです。

 「正しい者は、ナツメヤシの樹のように栄え、レバノンの香柏のように育つ」(詩篇92:12)

 十字架の磔刑の時が近づいて来ました。

 木の梁が、不思議と池の水面に浮かび上がり、たまたまローマの百人隊長が見つけられました。
 キリストの十字架は、こうしてアダムの墓から生え出た木に由来して、

 「世界の臍(へそ:中心、エルサレム・ゴルゴダ)」に立てられます。

 そこは、アダムが創造され、かつ、息をひきとった場所、ゴルゴダ:頭蓋骨と呼ばれるアダムの墓の上でもありました。

 キリストの御血は、十字架の根もとでアダムの頭蓋骨に注ぎ、そうして、人類の父は、御血の洗礼を受け、アダムの民が、犯した罪は、赦されます。

 その時、
 地中深く隠された聖櫃:アークにもまた、同じく、御血が振りかけられ、永遠の新しい契約が契られました。
 もはや、動物による血の贖いの儀式は、いらないのです。
 神ご自身の御血をただ一度、聖櫃に振りかけられたからです。
 その御血は、永遠に生きているため、もう二度と贖いの儀式をする必要がないのです。

 時の終わりに、命の木は、新天新地の都、エルサレムの中心に立ちます。

 「天使は、また水晶のように輝いている生命の水の川を私に示した。神と子羊:イエズス・キリストの玉座より出て、通りの中央を流れる。川の両側には毎月一度ずつ一年に12度の実を結ぶ命の木がある。その葉は異邦人を癒すものである。」 (聖ヨハネの黙示録22:1〜3)

 「ことは実現した。わたしはアルファでありオメガである。渇く者には無償で命の水の泉を飲ませる。」
 (聖ヨハネの黙示録21:6)

 「この書の預言の言葉を秘してはならぬ。時は近づいたからである。
 ・・・自分の服を洗う者は幸いである。彼らは “命の木” について権利を持ち、門を通って都に入る権利を持つだろう。
 犬、魔術を使う者、淫行者、殺害者、偶像礼拝者、偽りを好んで行う者はみな外にいる。私イエズスは、諸教会のために以上のことをあなたたちに宣言させようとして使いを送った。
 私はダビドの子孫、そのひこばえ:若枝、暁の輝く星である。」
 (聖ヨハネの黙示録22:10〜16)


 「命の木」は、フランチェスコ修道会の図像に採用されました。

 フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂の旧食堂にタッデオ・ガッデイが、描いた『生命の木』や上図、パチーノ・ディ・ボナグイダが、描いた同主題の木の頂きに自ら胸を嘴:くちばしで傷つけ、雛たちにその血をほとばしらせ,死んだ雛たちを甦らせる「ペリカン」が、描かれています。

 この「ペリカン」こそは、十字架の上で人類救済のために自らの血を流した「キリストの象徴」です。
 自己犠牲の象りです。

 「生命の木」の上にペリカンが、描かれるようになったのは、聖ボナヴェントゥーラが、パリ大学教授であった時に著した書『生命の木』と、西洋に長く伝わる「ペリカン伝説」が、合体したためです。

 その最初の図像は、アルプス以北で描かれました。
 この図像が、ヨーロッパ各地で広く活動をしていたフランチェスコ会修道士によってアッシジにもたらされ、キリストの象徴であるペリカンと聖フランチェスコが、結びつけられました。
 聖フランチェスコは、第二のキリストと考えられていたからです。

 聖フランシスコ会と聖ドミニコ会は、錬金術においても修道研究をしていたことはよく知られ、教会博士聖トマス・アクィナス、大聖アルベルト・マグヌス、セラフィム(熾天使)博士聖ボナヴェントゥーラなどが、上げられます。


 聖痕は、聖フランチェスコの持ち物:アトリビュートです。
ジョット 聖フランチェスコ伝「聖痕を受ける聖フランチェスコ」

 それは、彼が、1224年9月14日ラ・ヴェルナ山にこもり観想にふけっていると、十字架に磔けになったキリストの姿をした天使が現れ、キリストが、十字架の上で受けたのと同じ傷、すなわち、聖痕:スティグマータ(ラテン語:stigmata)を彼にしるしたと伝記に記されているからです。聖パウロは、新約聖書ガラテヤ信徒への手紙(6:17)において、聖痕を「イエズスの焼印」と呼んでいます。

 聖フランチェスコの伝記として古いものは、チェラーノのトンマーゾが、書いた『第一伝記』(1229年),『第二伝記』(1244年)と、フランチェスコ修道会の教団長をつとめた聖ボナヴェントゥラが著した『大伝記』(1263年)があります。


 注釈:ぺリカン E.Pelican.
 この鳥は雛を育てるために、自分の胸を傷つけて血を吸わせるとの伝承から、人類愛のために十字架上に犠牲となった「キリストの象徴」とされました。
 十字架の上にその巣が描き出されます。
 中世の画家は、ペリカンの真の姿を知らないために空想的図像を描きました。17世紀フランドルでは、寓意的静物画の容器上に装飾として利用されました。

 錬金術の絵にも蒸留フラスコの中にペリカンと思われる鳥が、描かれています。
 不死鳥やペリカンは、死と再生:復活を表現する象徴です。
 イエズス・キリストを信じることは、『賢者の石:永遠の命と癒し』を得ることを意味します。

 錬金術の奥義とは、── 聖フランシスコ会、聖ドミニコ会などの修道会が、研究したとされる文献の中に隠されていますが、その意味するところは、「修道生活:物質の蒸留・精錬」と「観想:精神の純粋・聖性」の相互の共鳴により、聖なる精錬された純粋な霊魂を自身の内に形成することにあります。
 そのための道具として、修道生活の中では、物質的な蒸留・精錬の修業生活として、葡萄栽培、ワイン・ブランデーなどの酒の醸造、金属の精錬などを行っていました。
 これによって、忍耐・寛容・節制・柔和・仁慈・善良・謙遜・純真・平安・誠実・喜び・希望・信仰・愛を身につけていきます。
 こうして、自己の内に物質界と霊界との一致はかり、宇宙万物が、ひとつの生命体であることを理解していきます。
 神と一致するといことは、神の御目をとおして万物を慈愛深く、いとおしく、いつくしむことに他なりません。
 こうして、自らの霊魂が、自覚するとき、超自然的な時間と空間とを越えて神の愛(光)の中に浸されます。


 最後までお読みになられたあなたへ───

 神の祝福が、永遠(とわ)に有りますように。
 もし、あなたが、クリスチャンではなく、人生の目標を探し、道を求めているひとりであれば、罪の赦しと永遠の命(天国)が、キリストを信じて必ず得られますように。
 幼虫からさなぎを経て蝶になるごとく、肉の人間から霊の人間へと生まれ変われますように。

 ひとりの修道女がおりました。
 彼女は、この世に生を受けてから、ただのひとつも幸せな日を送ることはありませんでした。彼女の一生は、つらく悲しみと苦しみに打ちひしがれるひとりだけの寂しい生活でした。
 修道院に入ってからもひっそりと生活していました。
 そして、若くして間もなく彼女は、静かに病床の上で亡くなりました。
 亡くなられる直前、付き添いをしていた修道女に聖主イエズスが、現われて言いました。

 「彼女は、生前、良いものは、何も得られなかった。
  私と同じように一度たりとも幸せな生活をおくることなく、悲しみと苦しみの日々を愚痴ることなく耐え忍んだ。
 今日、彼女に永遠の安らぎと喜び、地上では、かなわなかった幸せの幾万倍、絶えざる愛をもってそれに報いようと迎えに来ました。」
 
 「悲しむ人は、幸いです、その人は、慰めを受けるでしょう。」

 ですから、ぐれないで下さい。 “ 善い心の声 ” に正直でいて下さい。
 また、最後の審判の時、わたしにあなたの血の責任を問われませんように。



「生命の木」その2:「エッサイの木」と「メノラー」、その外的な雛型「生命の木とセフィロト:ユダヤのカバラ 」との比較検証 ── 似て非なるもの悪魔は、真理に嘘・偽りを少しずつ混ぜ込み、人間を神から遠ざけます


ブロワのアンリ詩篇細密画「エッサイの木」
ブロワのアンリの詩篇細密画「エッサイの木」/ウィンチェスター
『エッサイの腰部から生えた木には、子孫のダビド王、
処女聖マリア、キリストが見られ、上部に聖霊がとどまる』


十字架と生命の木との神秘的な関係


 十字架の木は、αとω(アルファとオメガ)、過去と未来、始まりとおわりを媒介するものであり、縦軸の木は、神と人、横軸の木は、人と人とをつなげる「和解と赦し」を象徴しています。
 いわば、救済の木です。
 楽園の生命の木(「創世記」2:9)と来たるべき世界の生命の木(「ヨハネ黙示録」22:1〜2)を示す霊的秘義として同一視されます。

 「エッサイの株からひとつの新芽が出、その根からひとつのひこばえ:若枝が生えて実を結び、その上に主の霊が、とどまる」 (イザヤ書11:1〜2)

 「マタイによる聖福音書」第1章に基づく系図は、アダムからヤコブ、ホセアを経てキリストに至ります。

 42世代を通過しますが、それぞれローマ数字XXX(30年)で表示されます。
42×30=1260となります。

 フロリスの聖ヨアキムは、紀元1260年を歴史の第三段階 「聖霊の時代」 の芽生えの年としました。

実際には、数字そのものを年代に当てはめることではなく、むしろ、42世代目のイエズス・キリスト以降に現われる教会時代が、避難所として神が、備えられたことを暗示しています。その期間は、1260日間と言う霊的期間であり、婦人=教会を養われるのは、神です。

 「婦人:教会=聖母マリアは、荒野に逃れたが、そこには、1260日間婦人を養うために神が、備えられた避難所があった。」
 (聖ヨハネの黙示録12:6)


フロリスの聖ヨアキム(1135年〜1202年)

 樹木のビジョンを受け、歴史を三つの段階に分け、それぞれ聖三位一体の三者と対応するとしました。
 第一期は、御父の時代旧約聖書の神ヤハウエによってシナイ山で授けられた律法に服従させられる時代。
 第二期は、御子の時代、信仰、福音書、サクラメント:祕蹟を通して人々に与えられる時代。
 第三期は、聖霊の時代、直接人々の心へと下り、神の直接の啓示を受ける時代。

 これらの時代は、樹上の新芽が、先立つものから生育するように歴史のプロセスを過去の果実が、未来の種子を含む連続体としてとらえ、来るべき時代は、それに先立つ時代の中ではぐくまれます。

 「文字は、人を殺し、霊は人を生かす」(競灰螢鵐3:6)

 これは、過去の歴史を否定することではなく、それを土台としてより豊かに完成:成長させていくことにあります。

 聖ヨアキムの考え:彼の思想を歪曲し歪めて用いた20世紀までの西洋哲学
 宗教改革、ドイツ観念論哲学、マルクスの共産主義の三段階説、ナチスの第三帝国、神学・形而上学・科学・歴史の三段階説は、まさに文字通り:言葉尻のみを利用した人殺しの思想になってしまいました。

 その結果、彼の霊的洞察は、おおむね無視されてしまいました。

 第三期の「聖霊の時代」は、すでに聖主イエズス・キリスト在世中からはじまっています。
 ただし、キリスト御昇天後、正式には、「聖霊降臨」から聖主キリストに代わって「教会」を導いています。

 1260[日間]とは、異邦人に与えられた恵みの時代であり、文字通りの期間とは言い難いですが、
 ( ⇒ 詳しくは、「ダニエルの70週」を参考にして下さい。)
 霊的期間を表し、42ヶ月=3年半=ひと時と二時と半時などの言い表し方もあります。
 また、聖ヨハネの黙示録には、同じ期間を悪魔の側面としても書かれています。

 「獣は、傲慢と冒涜のことばを言うことが許され、42ヶ月間活躍する権力が与えられた。そこで彼は、神を汚し、そのみ名とその幕屋と天に住む者たちを汚すために口を開いた。
 また、聖徒たちと戦って勝つことが許され、すべての部族と民のことばと国をつかさどる権力が与えられた。・・・・
 こうして生徒たちの忍耐と信仰が現れるのである。」
 (聖ヨハネの黙示録13:5〜10)

 神が、備えられた霊的避難所が、1260[日間]あると同時に、悪魔の人間を惑わす活動期間も同じく42ヶ月間[=1260日間]許されています。



『光の樹』

 燃えあがる樹や潅木は、宗教学・神話学・民間伝承ではよく知られたモチーフです。
 聖なるものはしばしば炎や光であらわされるからです。生命の樹液は、根より吸い上げられ、樹の中を昇るにつれて凝縮し変化します。
 そして、樹液は、貴重な「生命の油」となり、果実や花弁の中で燃えます。
 これは、光合成による生物的常温化学変化を比喩しています。

 このATP回路を人工的に再現できれば、エネルギー問題も地球温暖化問題も二酸化炭素排出問題もすべて解決するでしょう。

 しかし、科学者・国家政府は、協力しあって真剣に取り組もうとしません。
 経済ばかりを優先しているからです。優先すべきは、経済活動や戦争の道具ではなく、環境に配慮した全く新しい分野の有機的科学エネルギー開発です。
 時代は、産業革命以来からつづく旧態科学から有機生命体科学へとシフトすべき到来時期を迎えています。
 環境問題を解決し、新しい分野の有機商業・有機工業を活性化させないと、経済も良くはなりません。


 ユダヤ教では、生命の木は、花咲くアーモンドの木であらわされることが多いです。
 中東では、春を呼び告げ知らせる木として知られています。その光を放つような白い蕾は、葉よりもずっと早くあらわれ出ます。
 モーセは、このアーモンドの木にならって七つの枝をもつ大燭台メノラーの台座、幹、花をつくるようにと神から教えられます。

  はたんきょう/巴旦杏⇒ an almond のことです。

 『また、純金を打って、燭台をつくれ。燭台は、台座に軸、がく、蕾、花がそろって、一つのものになっていなければならぬ。
 燭台の中心の軸からは、六本の枝を出す。一方の側からは、三本の枝、他方からも三本の枝である。一本の枝にはたんきょうの花の形をした三つのがくと一つの蕾と、一つの花を付け、他方の枝にも、はたんきょうの花の形をした三つのがくと一つの蕾と、一つの花を付ける。燭台からひろがる六本の枝を同じようにせよ。
 その燭台の中心の軸には、はたんきょうの花の形をした四つのがくと、その蕾と花を付けよ。
 (節は、)その位置は、燭台の軸から出る最初の二本の枝の下に一つ、燭台の軸から出る次の二本の枝の下に一つ、燭台から出る最後の枝の下に一つ。
 これは、燭台の中心の軸から出る六本の枝のことである。蕾も枝も、中心の軸と一体をなし、全体は、打ち物細工でまとめた純金の燭台となる。
 それから、燭台にすえる七つの明かりざらをつくり、まわりを照らすように置け。また、心切りばさみと心受けざらも純金でつくらねばならぬ。燭台とすべての小道具のために、1タラント(34.272kg)の純金を用いよ。 山の上で、おまえに示した型をよく見て、それをつくれ。』
 (「出エジプト記」25章31〜40節)


七枝の燭台
メノラーの想像図

 12の側面を持つメノラーの台座:6角形の厚い台座が、二段に積み重なっていますが、紀元70年に神殿破壊を成し遂げたティトゥス軍凱旋行列図の中にメノラーが描かれており、それは、ローマティトゥス皇帝凱旋門浅浮彫りにあります。

 この12の側面は、教会の光の土台となる12人の長老、12人の使徒を象徴しています。
 『玉座をめぐって24の座があり、そこに24人の老翁が白い服をつけ、金の冠を頭にかぶっていた。・・・・玉座の正面には神の7つの霊である7つの燃える松明:ともし火があった。』
 (聖ヨハネの黙示録4:4,5)

 24人の老翁は、祭司職の天使と言われていますが、旧約12部族の族長と新約の12使徒を象徴しているとも考えられます。

 このメノラーの起源は、古代中東の生命の木や宇宙樹の中に見出されます。

 また、ユダヤのカバリスト「セフィロトの樹」においても同様に、神の光の宇宙的シンボリズムと「生命の樹」の宇宙的シンボリズムとは、結合しています。
 メノラーは、その形態もシンボリズムも中東の聖なる木をモデルとしています。金のメノラーは、エルサレム掠奪のあいだ、寺院から運び出されます。

 カバラによると、神の光が、屈折したり反射したりするのは、10の「天球」すなわちセフィロトを通って下るからであるとされます。
 セフィロトは、神の内的属性の創造的流出です。セフィロトの「生命の樹」は、神・人間・宇宙の隠された構造を開示しますが、それらは、無限なる唯一の「エン・ソフ」の中で分かちがたく結ばれています。
 セフィロトで反射される神の光は、天球で反射される太陽の光に等しく、セフィロトの「生命の樹」階下にある七つの球体は、それぞれの天体と結びつきます。

 キルヒャーの体系では、おのおのが、占星術的記号をともなっています。
 中央に
 ティフェレト=美=太陽

 下に
 ホド=栄光=金星
 ネツァー=永遠=火星
 イェソド=基礎=水星
 マルクト=王国=月

 上には、左に
 ディン(ゲヴラ)=公正=土星

 右に
 ヘセド=慈悲=木星

 が位置します。

キルヒャーのセフィロト
 アタナシウス・キルヒャー「エジプトのオイディプス」所収図版1652年


 この占星術的シンボリズムは、メノラーにもまた見出されます。
 メノラーは、伝統的なカバラの図に示されますが、それは、幹や枝に10のセフィロトをあらわすヘブライ文字をともなっています。
メノラーのセフィロト世界ユダヤ同盟図書館蔵セフィロトの樹



◇ 比較検証 ◇『さかさまの樹』:セフィロト = 偽りの悪魔の叡智
さかさまの木
 ロバート・フラッド「神聖哲学」1626年


 「宇宙樹」が、最高天で不変に固定されていると言う考え方は、根を上に、枝を下に伸ばす「さかさまの樹」のイメージとして表現されています。

 「さかさまの樹」は、初期インドの聖典;ヴェーダとウパニシャッド(紀元前900〜500年)に登場します。
 「カータ・ウパニシャッド」は、次のように伝えます。

 『根は高く伸び、枝は、低く育つこの永遠なるアシュヴァッタは、純粋なるもの、ブラフマンであり、≪不死なるもの≫とされ、全世界がそこに宿るのである。』

 ここでいうアシュヴァッタとは、「無花果:いちじくの樹」であり、それは、超越的源泉ブラフマンより生じる宇宙の現象形態をあらわすものとされています。ここでも創造とは、下方へと向かう動きと見られているわけです。

 「マイトレーヤ・ウパニシャッド」によると、 『三位一体のブラフマンは、根を上方にもって』 おり、樹幹は、三つの主要な部分に分かれるとされています。
 それは、ヒンドゥー教の三神、すなわち、創造神ブラフマン、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァをあらわします。
 この三神よりさらに枝分かれが生じ、それぞれの女性配偶者をもともなって、時間と歴史のサイクルを通じ、さまざまに化身を繰り返します。

 「さかさまの樹」のイメージを通して、ヒンドゥーの多神教を一神教的見解へと擬似させています。
 すべての神々は、われわれの目からおおわれた唯一の根より分岐したもの、とされています。

 ハート型の葉をもつアシュヴァッタ:Ficus religiosa のほかに、楕円形の葉をもったもうひとつの無花果の樹「二ャグローダ」、または、「バンヤン:Ficus indica 」が、インドでは同様に崇拝の対象となっています。
 それは、他の樹々の上に生育するという変わった習性をもっています。
 その種子は、鳥や他の動物たちによって森の樹々の梢上に生みつけられ、そこから長い根を空中にはわせ、地面に達するや再び成長を繰り返します。そうしながら、主木がついに倒れるまで樹幹に奇妙な籠細工を編みつづけ、最後には、生命力の強いバンヤンだけが残ります。
 インドの聖典に最もよく登場するのは、アシュヴァッタの樹ですが、「さかきまの樹」のイメージを提供したのは、空中をはう長い根をもったバンヤンです。


無花果:いちじくの樹についての補足的解説

 「朝早く町に帰るとき、空腹だったイエズスは、道ばたにある一本のいちじくの木を見てその下に来られたけれども、その木には葉だけで何もなかった。『これからおまえは二度と実をつけるな』と木に言われた。
 するといちじくの木はすぐ枯れてしまった。・・・」
 (マテオによる聖福音書21:18〜20)

 この出来事の後、次の出来事が続きます。

 「『私は言う。神の国はあなたたちから取り上げられ、実を結ぶ民に与えられるであろう。』
 と、言われた。
 このたとえは、自分たちのことを指しているのだと知った司祭長とファリサイ人は、・・・」
 (マテオによる聖福音書21:43〜45)

  「実を結ばないいちじくの木」は、大義でイスラエル国を、狭義で特に神に仕えるはずの祭司、ファリサイ人や律法学者たちを示しています。これは、イエズスの次の言葉に集約されます。

 『のろわれよ、偽善者の律法学士、ファリサイ人よ。・・・・蛇よ、まむし族よ、地獄の罰を避けられると思うな。』
 (マテオによる聖福音書23:13〜33)

 なぜ、これほどまでにイエズス・キリストは、神に仕え十戒を教えるはずの祭司やファリサイ人を嫌ったのでしょうか?

 それは、ひとえに神の教えを歪曲し、悪魔の教えを混ぜ込んだからでしょう。

 歴史的に言えば、バビロン捕囚(BC600年頃)後にバビロンやペルシャなどの異教の教えに染まり悪しき融合をしてしまったと言えます。

 上記のインドの聖典「ヴェーダ」と「ウパニシャッド:マイトレーヤ・ウパニシャッド」の教えも当然入ってしまったため、イエズスは、あえていちじくの木を枯らせ、この出来事を聖福音書に残したと思われます。
 そして、後世の人々に忠告するかのように言われます。

 『のろわれよ、偽善者の律法学士、ファリサイ人よ。あなたたちは一人の改宗者をつくるために海と陸をめぐり、つくってのち、それを自分に倍するゲヘナの子にする。』
 (マテオによる聖福音書23:15)

 ゲヘナとは、地獄の “ 火の池 ” のことです。

 まるで、ユダヤ神秘主義者:カバリストのことを言っているように思えます。
 「さかきまの樹:逆さまの木」は、正統なる聖書の神:キリストの教えではなく、悪魔側の智恵を入れてしまっていることを明らかに暗示しています。


 中世のユダヤ神秘主義、とくにカバラに見られる思想は、目に見えない超越神と目に見える創造された世界とのあいだの神秘的な関係に焦点をおいています。
 創造を、神の内的世界の外的現象形態として理解し、そうした理念を明示するために「さかさまの樹」のイメージを用いました。
 目に見えぬ神的世界の中にあらゆる創造の種子が隠されており、創造そのものは、また、目に見えぬ神的世界のあらわれとします。

 1180年ごろに南フランスで書かれたとされる最古のカバラ文献「バヒールの書」には、

 「あらゆる神の力は、一連の取り木で繁殖をかさねる一本の樹木のようなものである」

 という記載があります。
 カバラ文献「ゾハール」(13世紀にレオンのモーゼスによって公にされた)には、

 『いまや生命の樹は、上より下に伸びゆく、それはすべてを照らし出す太陽である。』

 とあります。
 カバリストたちは、神の隠れた力について語るのに、種子「隠れた種子」、根(あらゆる根が収斂:しゅうれん)するひとつの根、数学上の点「始原点、または、調和点」の結合したイメージを用います。
 「始原点」と「隠れた種子」との結びつきは、とくに重要です。

 以下は、「ゾハール」による創造のはじまりの記述です。

 『隠されたものの中の隠されたものが、自らを開示したいと願い、まずひとつの点をつくった。造物主は、いまだまったく知られておらず、この光り輝く点以外いかなる光も存在してはいなかった。この点以外なにも知られえないため、それは、「はじまり:reshith」と、呼ばれ、最初の創造の言葉となり、それによって宇宙は、つくり出されていくことになる。』

 神の内部の目に見えぬ世界の最初の顕現は、セフィロトと呼ばれる神の流出物です。
 このセフィロトは、神の属性、力、潜勢力などをあらわし、三つに分かれてカバラの「生命の樹」をつくりあげます。
 その三つは、おのおの三本の木「柱」にたとえられ、

 左側にあるのが「峻厳の柱」
 ビナー(理解)
 ゲヴラー または、ディン(公正)
 ホド(栄光)

 右側にあるのが「慈悲の柱」
 ホクマー(知恵)
 へセド(慈悲)
 ネツァー(永遠)

 中央には「均衡の柱」
 ケテル(王冠)
 ティフェレト(美) または、ラハミン(憐愍:れんびん)
 イエソド(基礎)
 マルクト(王国)


 これらは、また、別の三つの集合体にもまとめることができます。

 知性(ケテル、ビナー、ホクマー)
 想像力(ゲヴラー、へセド、ティフェレト、ホド、ネツァー ことによりイエソドが含まれることもあります)
 事象(イエソド、マルクト)

 さらに、10のセフィロトに関係する網には、性的シンボリズムが含まれています。
 すなわち、それぞれが、神の男性的・能動的な力と女性的・受動的な力をあらわしています。

 この神秘的な樹木は、神と人間と宇宙の三者を結びつけます。
 それは、三者のあいだの内的な関係を明らかにします。人間と宇宙は、たがいに反映しあっており、その両者もまた、カバリストたちが、「エン・ソフ」と呼ぶ限りなき無量無辺のものの反映です。
 「エン・ソフ」は、人間の有限なる意識では、到達することができぬ神、超越する絶対者であり、人間も世界もそのうちに神秘的にはめこまれているとされます。


 「宇宙樹」と結びつく重要なたぶんよく知られているユダヤ教の象徴は、上記に記載した聖書「出エジプト記」(25章31〜40節)のメノラーという7つの枝をもつ燭台です。

 モーセは、礼拝で行なわれる祭事に用いられる祭具として、メノラーのつくり方を神より示されます。
 モーセへの「山上の垂訓」によれば、それは、純金でつくられなければなりません。
 のちにエルサレムの聖域に立てられた金のメノラーもそれにしたがってつくられたのです。
 メノラーの形態は、多くの宇宙樹がそうであるように、古代メソポタミアに起源をもちます。

 7つの枝は、雛型で、神の御座の7つのともし火、神の7つの霊(聖ヨハネの黙示録4:5)を示します。
 数字の7を占星術では、7つの惑星(太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星)に対応させています。

 ユダヤの偉大な哲学者アレクサンドリアのフィロン(紀元前30年ごろ〜紀元50年ごろ)は、モーセの十戒やオリエントの思想をギリシャのプラトンの哲学と結びつけたいと考えていました。
 彼にとって、燭台の7つのアーチは、固定された中心軸で示された太陽をめぐる七つの惑星の軌道をあらわしたものと考えました。


☆ 重 要!

 しかし、出エジプト記以前、すでにイスラエル12部族の成り立ちと、ヤコブの寵愛した息子ヨゼフの夢によって、太陽系に12の星があったことを示唆しています。
 7つの惑星(太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星)の他に 地球、火星と木星の間のアステロイドベルト=小惑星帯;かつて存在していた惑星の残骸と言われます、冥王星、海王星、彗星となります。

 「・・・・『太陽と月と11の星が、私の前にひれ伏した夢だった』・・・・父は、このことを心にとめていた。」(創世記37:9〜11)

 神は、太陽系の雛型をヤコブ:イスラエルの家族にあらわされたと思われます。

 ダンテの神曲では、地上天、月天、水星天、金星天、太陽天、火星天、木星天、土星天、ヤコブの梯子、恒星天、原動天、至高天。

 となり、ヤコブの梯子を除くと霊界:天界には、11天球あります。

 モーセに示された山上の垂訓は、コスモスの精神的、霊的な投影であり、メノラーは、外的な雛型と確かにいえます。メノラーの7つのランプは、

 七つの「神の眼」

 であって、 決して、太陽系内惑星天体のことを示しているのではありません。預言者ザカリヤも幻視のうちにそれを見て言います。
 
 「私は答えた、
 『私は見ています、すべて金でつくられている燭台を。 その先端に皿があり、その上に7つのランプがあり、そのふちにあるランプには、それぞれ7つの火口(管)があります。そのそばに二本のかんらんの木があって、 一つは皿の右、一つは皿の左にあります』。
 ・・・『その7つのものは、主の御目であって、全地を見わたされる』。」
 (「ザカリヤ書」4:2〜10)

 かんらんの木⇒オリーブの木のことです。
 それは、二本のオリーブの木のあいだにあり、ランプの油は、二本の金の管を通して油を外に流し出す二本の小さなオリーブの木の枝先に供給されていました。
 それは、全地の主の御前に立つ、二人の油注がれた者であり、そのひとりは、霊的な権威の代表者:祭司として油注がれたヨシュアのことであり、もうひとりは、世俗的な権威の代表者:王として油注がれるゾロバベルのことでした。
 救いの時代に、二つの権威が、一体のものとなります。
 さらに、新約においてメノラーの7つのランプは、七つの教会を象徴しています。

 「わたしの右の手の中に見えた七つの星と、七つの金の燭台について、その奥義は、次のとおりである。七つの燭台は、七つの教会である。」
 (聖ヨハネの黙示録1:20)

 各教会は、一位の天使に守護されています。
 星=ラテン教会では、天使は、各教会のかしらのかたどり:雛型とされます。
 神の7つの霊=メノラーの7つの灯火は、光と力を教会に注ぎ込む仲介者:聖霊としての働きを象徴しています。(聖ヨハネの黙示録1・4、4・5)
 それはまた、メノラー:金の燭台が、世の光であるイエズスと教会との関係をも象徴しています。
 イエズスは、「わたしは、世の光である」と、仰せられました。
 聖霊の油にともされた光は、神の民を照らすと同時に、「この現世」をも照らし、教会は、「世の光」として輝きます。

 「『あなたたちは世の光である。山の上にある町は隠せぬ。また、灯をともせばますの下に入れず、燭台の上に置くものだ。こうすれば、部屋じゅうの人を照らし出す。このようにあなたたちも人の前で光を輝かせよ。そうすれば、人は、そのよい行いを見て天にまします父をあがめるであろう。』」
 (マテオによる聖福音書5・14〜16)

 神は、
 「油注がれた者のためにひとつの灯火をととのえ敵に恥をきせ、彼に王冠を輝かせよう。」
 (詩篇132・17,18)

 「その正義が、暁のように昇り、救いが燃える灯火のように輝くまで。もろもろの民は、おまえの正義を見、すべての王は、その光栄を見る。」
 (イザヤ62・1,2)


★ 結 論:聖書及びキリスト教の「生命の木」とは、カバラとよく似ていますが、中味は、全く正反対に違います。
 インドを起源とするウパニシャッド:イチジクの木「逆さまの木」は、悪魔からの教えであることをもう一度注意しておきます。北欧神話の「宇宙樹」もしかりです。似て非なるものです。危険に満ちています、のめりこまないようにして下さい。




【 参考文献 】

 E・C・クインの「セツの研究(1962年シカゴ)」より
 「生命の樹」ロジャー・クック著/植島啓司訳(平凡社刊)

 世界美術大全集/解説:石原 宏 著
 キリスト教美術図典1990年版 /柳 宗玄、中森 義宗 編著

バルバロ神父訳 「聖書」(講談社)
マリア・ワルトルタ 著 『 時の終わり 』 日本語翻訳版(抜粋)
 マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋 世紀末の黙示録

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著者:baramado
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