宇野正美 2020年講演会 21
2020/12/16 公開日
ヨハネの黙示録 13: 1〜8節
「わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒瀆するさまざまの名が記されていた。
わたしが見たこの獣は、
豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。 竜はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。
この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。
竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。
『だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。』
この獣にはまた、大言と冒瀆の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。
そこで、獣は口を開いて神を冒瀆し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒瀆した。
獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。
地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。」
ヨハネの黙示録:ヨハネは、未来から過去を幻視(ヴィジョン)した。
ダニエル書 7章 1〜 8節
「バビロンの王ベルシャザルの元年に、ダニエルは床にあって夢を見、また脳中に幻を得たので、彼はその夢をしるして、その事の大意を述べた。
ダニエルは述べて言った、「わたしは夜の幻のうちに見た。見よ、天の四方からの風が大海をかきたてると、
四つの大きな獣が海からあがってきた。その形は、おのおの異なり、
第一のものは、ししのようで、わしの翼をもっていたが、わたしが見ていると、その翼は抜きとられ、また地から起されて、人のように二本の足で立たせられ、かつ人の心が与えられた。
見よ、
第二の獣は熊のようであった。これはそのからだの一方をあげ、その口の歯の間に、三本の肋骨をくわえていたが、これに向かって『起きあがって、多くの肉を食らえ』と言う声があった。
その
後わたしが見たのは、ひょうのような獣で、その背には鳥の翼が四つあった。またこの獣には四つの頭があり、主権が与えられた。
その後わたしが夜の幻のうちに見た
第四の獣は、恐ろしい、ものすごい、非常に強いもので、大きな鉄の歯があり、食らい、かつ、かみ砕いて、その残りを足で踏みつけた。これは、その前に出たすべての獣と違って、十の角を持っていた。
わたしが、その角を注意して見ていると、その中に、また一つの小さい角が出てきたが、この小さい角のために、さきの角のうち三つがその根から抜け落ちた。見よ、この小さい角には、人の目のような目があり、また大きな事を語る口があった。」
ダニエル書:ダニエルは、過去から未来を幻視(ヴィジョン)した。
しし 獅子 大バビロン ネブカデネザル王 ベルシャザル王
くま 熊 メゾペルシャ
ひょう 豹 ギリシャ アレキサンダー大王
第四の(恐るべき)獣 ローマ帝国 十の角(力、ラッパ、大言、衛星国)
現在のイスラエルのユダヤ教:タルムードは、バビロン由来の思想(バビロニア文明)
基本:ヨハネとダニエルは、救世主は、ローマ帝国時代に生まれることを預言している。
“ ダニエルの70週 ” 【 旧約ダニエル書 9:1〜27 】
紀元前536年のバビロン。 まだ、バビロンに捕囚中のユダヤ人。 そのうちのひとり、ダニエルは、預言者エレミアに下った主のみことばによって、エルサレムが廃墟となって過ぎ去る年の数、すなわち、70年のことを、聖書の中から悟ろうとして、神なる主に向かって仰ぎ見て、断食しながら罪の告白と願い、祈りを捧げていました。 すると、夕方の供え物の頃、大天使聖ガブリエルが、預言者ダニエルに現らわれ、廃虚と化したエルサレムについて次のように告げました。
(
▲ これは、神なる主に答えを頂くために必要な基本的祈りの要素です。 )
エルサレム再建の命令とともに、預言の時計が、イスラエルに対して回り始めます。 70週が定められ、その間に、神はあることをされると。 この預言は、ダニエル書第9章に書かれていますが、要約すれば次のようになります。
「 あなたの民 ( ユダヤ民族 ) と 聖都 ( エルサレム ) には 70週が定められている。
※ それは、
● 背きをやめさせ
● 罪を終わらせ
● 咎を贖い
● 永遠の義をもたらし
● 幻と預言を確証し
● 至聖なる者に油を注ぐためである 」
( ダニエル書 9:24 )
「 それゆえ、知り、悟れ。 エルサレムを建て直せとの命令が出てから、メシアである君主 ( 王 ) までが7週 と 62週 。 その間、困難な時を経て、広場と石垣は建て直されます。
その 62週の後に ( 69週の後 = 70週目のこと = 最後の一週 ) 、メシア ( 君主 ) は 断たれるが、それは 自分のためではありません。
やがてくる君主 ( 暴君 ) の民が、町と聖所を破壊します。 その終わりは、洪水のように来て、戦いの終わるまで、荒廃が定められています。
彼 ( メシア ) は、一週 ( 残された最後の7年 ) のあいだ、多くの者と契約を堅く結び ( 新しい契約 = ミサ聖祭 = 福音のこと、新約聖書における贖い主 神の仔羊 救世主イエズス・キリストへの信仰 )
週のなかば ( 前3年半= AD30年頃十字架刑 ) に 犠牲と捧げ物をやめさせます。
( 旧約における動物の生贄による罪の贖いではなく、神の御ひとり子、救世主イエズス・キリスト、一度きりの神御自身による十字架の磔刑によって、永遠に罪の贖い << 犠牲と捧げ物 >> を果たす )。
そして、荒らす者の憎むべきものが 翼 ( つばさ = エルサレムのこと )
( 訳注:七十人訳では、 「 神殿に 」 ) に現れます。
ついに、定められた絶滅が、荒らす者の上にふりかかります。 」
( ダニエル書 9:25〜27 )
これは、どの節においても、
第一に、メシアのことが、
第二に、エルサレムのことが、預言されています。
「 それゆえ、知り、悟れ。 エルサレムを建て直せとの命令が出てから、メシアである君主までが 7週と62週 ( = 69週 ) 。 その苦しみの時代に、広場と石垣は建て直される 」
( ダニエル書 9:25 )
エルサレムを再建せよとの命令が、起算点になります。
エルサレム自体の建設は、
「 キュロス,ダリウス,アルタクセルクセスの命令に従って 」
実現しました ( エズラ書 6:14 )
と、あります。
三度目の命令が一番重要になります。 BC457年、その命令は、ペルシャ王アルタクセルクセスの治政第7年 ( エズラ書7:1,7,8 ) と聖書に書かれています。 この第三勅令によって、エルサレムは、合法的に復興され、自治権を完全に回復 ( エズラ書 7:24〜26 ) 。 ダニエル書の70週は、この年に始まることになります。 BC457年という年は、四つの別々の資料によっても確定されています。
1.ギリシャのオリュンピア紀の年代記
2.プトレマイオスの法典
3.エレファント・パピルス
4.バビ口二ア粘土板
ダニエルは、町と城壁の建設に7週 ( 49年間 ) かかる、と預言しています。
パレスチナの歴史資料は少ないため、エルサレムが、ぴたり49年間で再建されたという証拠を見つけることは難しいです。 しかし、
「 エルサレムを再建せよとの命令からメシアである君主までが 7週 と 62週 」
という預言は、メシア出現という、さらに重要な事件の年代を与えます。
エルサレム再建 ( BC 457 ) から49年後は、BC408年、この年から434年後の西暦27年が、メシア到来の年になります。
● 1週=7年、1日=1年換算
● 7週 と 62週 ⇒ 7×7年=49年 と 62×7年=434年
ここでは、詳細な起算方法の説明を省略します。 肝心なのは、 預言の正しい経過・順序を理解すること にあります。 預言の原文は、日本語翻訳時にゆがめられ、また、他の類似聖書個所と混同し、解釈を間違ってしまうからです。 中心的仮説は、次のようになります。
1週( =7年 )のあいだ
7年+α = 前半3.5年+異邦人の時(+α)+後半3.5年、
メシアは多くの者と契約を堅くします。
前半3年半の公生涯において、メシアは、動物の犠牲をやめさせます。
これは、神ご自身が十字架の贖いを完成させ、動物による生け贄を廃止されたことにあります。 この時、失われたアーク「聖櫃」は、ゴルゴダ(「 どくろ 」の意味)と呼ばれる「 アダムの髑髏 」が埋められているとも言われる丘の、── キリストが、磔刑 ( はりつけ ) にされた ── 十字架の地下十数メートルに実際に、隠されてありました。
そして、イエズス・キリストの御血が地震によってできた大地の裂け目を伝って流れ落ち、「アーク:聖櫃」に振りかけられました。 神ご自身の御血ですから、それ以後、動物の血を振りかける必要はなくなったと言う事です。 その時、神殿の至聖所に入る垂れ幕は、上から下へ裂けました。 これ以後、二度と、動物による贖いの儀式は必要としなくなったからです。
神ご自身の御血が、 「 アーク( 聖櫃 ) 」 に振り掛けられたことは、今も証拠として残っています。 そして、この時、髑髏(アダムの頭蓋骨が埋葬されたモリヤの地)にも振りかけられ、アダムの罪をも贖ったことになります。
マカバイの書下には、アークの存在を示す根拠が記されています。「預言者エレミアが、みことばのお告げを受け、モーゼが神の遺産を見たその山( =モリヤ山 )に登ったときには、幕屋と聖櫃を携えていったとあります。 エレミアは、そこに着いたとき住まいの形をしている洞穴を見つけたので、幕屋と聖櫃と香の祭壇をそこに入れ、入口をふさぎました。 その道に道しるべを置こうとして何人かの仲間が立ち戻りましたが、もう見つけることはできませんでした。 エレミアは、そのことを知ったとき彼らを叱って言いました、『 神が民をふたたび集めてあわれみをくだされるまで、その場所は人の知らぬところとして残る。そのとき、主はふたたびそれらを示し、モーゼのときのように、雲が現れ、主の栄光が示されるだろう 』。 ( マカバイの書下第2章3〜8節 ) 」
イエズスの御血のサンプルについてロン・ワイアット氏の証言
【 これが、新しい契約の意味です。
メシアは、一週のあいだ、多くの者と契約を堅く結び、
週のなかば( = 3年半 )に犠牲と捧げ物をやめさせる
ということがらの主体は、“ メシア ” であります。
やがてくる君主 ⇒ 暴君の民、
「 荒らす者の憎むべきもの 」
のことではありません。
プロテスタントの日本語訳聖書は、ここの主語、述語、
関係が意訳されておらず、明らかに間違っています。
つまり、神学者自身が、翻訳時点において勘違いして
いたか、意味を履き違えていたことになります。 】
おそらく、イエズス・キリストの十字架磔刑が、西暦30年頃、さらに、イスラエル人に対する神の憐れみによる40年の猶予期間が満ちたのが、西暦70年、ローマ軍によるエルサレム と 神殿破壊が、こうして成就しました。
そして 残る 後半の3年半 は、まだ 始まっていません。
つまり、時間が止まったままです。
砂時計が、再びひっくりかえされ、後半の3年半が、動き出す兆しは、
「 いちじくの木=イスラエル国、から意味を汲み取るがよい。 その枝がやわらかくなって葉が芽生えれば、もう夏の近いことがわかる。 」
(マテオ24:32)
歴史的あともどりのできない修正変更のできない、「 異邦人の時が満ちる時 」 とは、「 2012年12月24日〜25日のクリスマス 」 あたりではないか? と、自分は、考えています。
ルカによる福音書 21章 25,26
「また日と月と星とに、しるしが現れるであろう。 そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。 もろもろの天体が揺り動かされるからである。」
その証拠の “ 印 ” が、ベテルギウスの超新星爆発による宇宙天体時計で刻まれる時の “ 印 ” ではないかと、示唆されます。 この後、ヨハネの黙示録の預言どおりに歴史がすすみ、『 大警告 』 が起こり、そして、砂時計が、ひっくり返され、後半の3年半が、再び動き出します。
追記、ベテルギウスの超新星爆発は、2020年 12月 19日現在、まだ、起きていません、「 異邦人の時が満ちる時 = 終わりの時の準備段階の終わりであり、歴史の終わりの時 後半3年半の始まりを示す 」 の “ 印 ” はまだ、先のようです。 地上において、その “ 印 ” となるのは、やはり、イスラエルのソロモン 第三神殿 建設 成就のようです。 そして、2014年4月〜2015年9月にかけて目に見えるかたちで、ベテルギウスの超新星爆発とは別の天体現象が起きました。 それは、「 4回の赤い血の満月 」 。 2020年12月21〜22日かけて、木星と土星のグレート・コンジャンクション(会合・重合)があります。
世界中である種の衝突・崩壊・破壊・戦争・消滅があり、その後、解放・建設・再生へと進みます。 政治・経済・金融などの従来あった旧システムが、革新的・革命的・変革によって世代交代し、新システム・フリーエネルギー・ニューテクノロジーへと移行する時期です。
追記、2017年: 死海文書(写本)の未発見の新たな預言書が発表された。
1947年に「死海文書」が発見されてから、2017年は、ちょうど、70周年の節目。
光の子(光の勢力)と闇の子(闇の勢力)との戦い。
70年後の、2017年 2月 9日に12番目の洞窟から「戦いの書」が見つかった。
1947 死海文書の発見、ロズウェル事件
1948 イスラル建国
70年後 ダニエルの予言(70周)
70年 破滅の始まり2017年?、2018年?
1948+69=2017年:イスラエル建国後、残りの 1周の後半、3年半の始まりか?
2017年 1月20日 第45代トランプ米大統領就任
2018年 5月14日 アメリカ大使館は、テルアビブからエルサレムに移転
ソロモンの第3神殿建設 ─ メシアは2人:
アロンの杖、祭司としてのメシア、12支族イスラエル王としてのメシア
「 戦いの書 」:光の子と闇の子との戦い40年の後、終末到来。
40年の戦争の中に、「5年の前哨戦。そして、6年の準備期間の後、
29年の大戦に突入し、世界は終末を迎える。」
イスラエル国家の再建 ⇒ 異邦人の時が満ちる時
異邦人にもイスラエル人に対するのと同様の憐れみによる40年の猶予期間があります。 そして 暴君 ( 反キリスト ) の出現があります。
「 獣には、傲慢と冒涜のことばを言うことが許され、42ヶ月間 ( 3年半 ) 活躍する権力が与えられた。 」
( 黙示録13:5 )
「 そのときには、多くの人が滅び、互いに裏切り、憎み合い、多くの偽預言者が起こって人々を惑わし不義が増すにつれておびただしい人の愛が冷める。 だが、終わりまで耐え忍ぶ者は救われる。 天の国のこの福音が、全世界に述べ伝えられ、諸国の人々に向かって証明される時 ( = 大警告のこと ) 、そのとき終わりは、来る。
預言者ダニエルが言った << 荒らす者のいとわしいもの >> が、聖所に立つのを見たら、
― 読者は悟れ ― (マテオ福音書24:11〜16)
その時には、世の始めから今までにもなく、後にもないほどの大艱難が起こる。 その日が短くされぬなら救われる者は、一人もいない。 だが、その日は、選ばれた人々 ( 聖人達の代祷 ) のおかげで短くされる。
(マテオ福音書24:21〜22)
(( ・・・ お怒りがこの民に下るからである。
・・・ エルサレムは、異邦人の時が満たされるまで、異邦人に踏みにじられます。))
そして、これらの日々の艱難の後、直ちに日は暗くなり、月は光を失い、星は空から落ち、天の力は揺れ動きます。 その時、人の子のしるし ( 大奇蹟のこと = 光の柱、世界中に立てられるモノリスに関係する ) は、天に現れ地上に降りてきます。
・・・ その時、人々は、人の子が、勢力と大いなる栄光をおびて雲に乗り下るのを見るだろう ( 空中再臨のこと ) 。
また、ラッパの高いひびきとともに、遣わされた天使たちが、天のこの果てからあの果てまで、地の四方から選ばれた人たちを集めます ( 空中携挙『 ラプチャ 』のこと )
(マテオ福音書24:21〜24:31)
・・・ 私は言う、 『 主の名によって来たる者、祝されよ 』
と、言うときまで、おまえたちはもう私を見るまい。
・・・
『 そのとおりである。 私は言う、人の子が全能なる者の右に座り、天の雲に乗り来るのをあなたたちは見るだろう。 』
(マテオ福音書26:64)
・・・ 神が昼夜ご自分に向かって叫ぶ選ばれた人々のために、正邪を裁かれぬことがあろうか、その日を遅れさすであろうか。 私は言う。 神は すみやかに正邪を裁かれる。 とはいえ、人の子が来る時、地上に信仰を見いだすだろうか ?
( 生ける真の神への信仰を棄てる : 背教。 最近 2017年以降顕著になっている傾向として、イエズス・キリストをヒューメイリアンとか マスターとか 覚醒者とか 賢者のひとりと同列に格下げし、人間のルーツを宇宙人やアヌンナキなど、多次元宇宙の異世界人など、悪魔の罠にかかった偽装仮説をさも科学的根拠に基づく証拠でもあるかのように持論を展開する動画解説が多くなってきた。 聖主イエズス・キリストは、我が主であり、光であり、愛であり、真実あり、あってあるもの、みことばの神が受肉して完全な人となられた神人救世主です。 )
・・・ それらがみな実現するまで、今の世は過ぎ去らぬ。 」
― マタイ・ルカの聖福音書各個所を抜粋 ―
当時、ユダヤの地は、強大な口ーマ帝国の支配下にありました。
時が近づくにつれ、ダニエルの預言を知った人々は、メシアの出現を期待し始めた。
ルカも
「 民衆は救い主を待ち望んでおり 」
( ルカ 3:15 ) と書いています。
悔い改めと洗礼を呼びかける力強き説教者 バプテスマの聖ヨハネ が、現れました。 その人は、ダニエルの預言をよく理解し、天国は近づいた、約束のメシアは、すぐそこに来ていると、告げていました。 実際、エッセネ派も、へレニストも、パリサイ派も、熱心党も、みなダニエルの預言を、メシア到来の預言と解釈していました。 へ口デ党もそうでしたが、世俗的な彼らは、へ口デ王自身が、メシアだと考えました。 ダ二エルの預言から、へ口デの時代に、「490年」が満ちると知ったからです。
このように、メシア到来の時が来た というのが、当時のユダヤ人全般の意識でした。 ユダヤ人たちが、バプテスマのヨハネに祭司、レビ人を送り、「あなたはだれか」 と聞かせたのもそのためです。 一人の青年が、ヨルダン河でバプテスマのヨハネから洗礼を受けるために来ました。 続く対話を人々がその通りに受け取れば、三年半後に起こるはずの事件に、十分に準備しえたはずです。
エルサレム入城、最後の晩餐、十字架磔刑 ⇒ 新約の過ぎ越し
まず、洗礼者ヨハネは、その人 ヨシュア:イエズス のことを見て
「 見よ、世の罪を取り除く神の仔羊 」
と言いました。 古代の犠牲制度から象徴されているように、
「 いけにえの仔羊 」
と、なるべき定めを負っていました。 ヨシュア:イエズス は、
「 時は満ちた 」 という言葉で公生涯を開始し、自ら預言期間の満了を告げました。
ヘブル語の 「 ヨシュア 」 は、ギリシャ語で 「 イエズス 」 と言います。 「 メシア、キリスト 」 とは、ギリシャ語のクリストス、へブル語の マーシーアハ:メシア 、つまり 「 油注がれし者 」 の意味です。
ヨシュアは、故郷ナザレの会堂に入り、
「 わたしの上に主の御霊がおられる。 主がわたしに油を注がれた 」
と、宣言します ( ルカ 4:18 ) 。 それは、何年か? 福音記者聖ルカは、
「 皇帝ティベリウスの治政の第15年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、へ口デが、ガリラヤの国主、その兄弟ピリポが、イツリヤとテラコニテ地方の国主、ルサ二ヤがアビレネの国主であり、アンナスとカヤパが、大祭司であった頃 」
と書いています。 主の洗礼=ご公現は、AD27〜28年頃 と言われます。
聖ルカが、いかに注意深い歴史家であったかが分かります。 彼は、個別の証拠を7つ掲げることによって、年代を明確にしようと努めました。 なぜ、そこまでして・・・?
これは、黙示録と関係深いことです。 これから来るべき3年半であるからです。 つまり、イスラエルに対する神のタイムテーブルは、最後の3年半を残して、キリストの十字架以来、一旦中断されています。
もともと神の選民は、ユダヤ人でありましたが、神はすべての人を救うためにイエズスの十字架で救いを完成された後、ユダヤ人に対するタイムテーブルを一旦停止し、我々異邦人が教会へと集められて、救いを得る時間的猶予を与えています。 その間、ユダヤ人は、イエズスを拒絶しています。
この期間は、神の恵みによる統治下にあります。 「 教会時代 」 あるいは、 「 異邦人の時代 」 と呼ばれています。 ( ローマ11:11〜32 )
「 婦人(聖母マリア=キリストの花嫁としての教会=霊的母)は、荒野(信者の心の砂漠のこと)の自分の避難所に飛ぶために大鷲の二つの “ 翼 ” が与えられたので、蛇を離れて、一時、二時、また半時の間( 3.5時=1,260日=3年半=異邦人の時代 )、養われた。 」
( ヨハネの黙示録12:14 ) “ 翼 ” は、神の庇護を譬えています。
「 兄弟達よ、私はあなたたちが自分の知識に自負しないように、この奥義を知ってもらいたい。 その奥義とは、イスラエルの幾分かがかたくなになったのは、異邦人が入って その数が満ちるまでである。 こうして全イスラエルは、救われるだろう。 」
( ローマ人への手紙11:25,26 )
神のタイムテーブル、砂時計は、再び ひっくりかえされ、後半の3年半が動き出します。
大警告、大奇蹟、大艱難と、ハルマゲドンの戦い、大天罰の順に終わりの時を刻みます。 ヨハネの黙示録に登場する666の反キリストの番号で象徴されるサタンの化身と、反キリストの先駆的 “ 二頭の獣 ” が再び現れ、エルサレムに入り、神殿にあって自らを神と称し、偶像礼拝することを強要します。
“ 二頭の獣 ” は、最後の大艱難を迎える時、サタンの化身が「 受肉 」した最後の 「 獣(反キリスト) 」 に、その座を委譲します。
獣とは?=「2つの角を持つ子羊(白)ような獣」
「ひょう(黒)のようで足は熊、口は獅子のような獣」
「七頭十角の獣」
赤い竜とは?=悪魔・サタン・昔のヘビ、受肉した反キリスト
このため、サタンの化身 「 受肉 」 は、ダニエル書とヨハネの黙示録で、
「 荒らす者の憎むべきもの 」
( ロード・マイトレーヤ=大救世主
マイトレーヤを漢字で示すと、弥勒菩薩 または、 大日如来 )
と呼ばれています。 従わない者は、迫害や困難に直面します。 二度目の大艱難時代となります。 そして、イエズスを排除していたユダヤ人にも大改心が起こります。 イエズスこそ待ち望んだメシアであったことを知り、悔い改めへと至ります。 ヨハネの黙示録は、最終的にゴグとマゴグに率いられた諸国の軍隊が、ハルマゲドン( ハル・メギド=メギドの丘 )において世界最終大戦争を勃発させます。
核兵器による人類絶滅の寸前に、 「 救いの玉 ( ワームウッド彗星 ) = 大天罰 」 によって、神が歴史に介入されて強制停止させます。
これが、 「 大天罰 」 と言われる最後の 「 暗黒の三日間 」 です。
その後、イエズス・キリストが、シオンの山に地上再臨されます。
現在の旧創造世界は 裁かれ、神の新創造世界を迎えるために、ついに 「時の終わり」 を告げます。
参考文献
「契約の櫃」ジョナサン・グレイ( Jonathan Gray ) 氏著/林 陽 氏訳
▼ ダニエルの預言 「70週」 略図最新改訂版拡大図
〔 参考注釈 〕
(1) 1週は7日、70週で490日です。
この70週(490日)は、一日を一年と数え、490年を表すというのが、聖書学の定説です。一日を一年とする計算法は、民数記第14章34節に、また、エゼキエル書第4章4節にも「わたしはあなたのために一年に対して一日とした」と明記されています。
(2) ユダヤ人の注釈者J・J・スロツキーは、「70週」について、「この謎めいた言い回しはレビ記25章に出てくる7年周期を暗示する。」
(3) メシアに関する中心的預言の抽出
25節;エルサレムの町、苦しみの中で建設される。 7週と62週の終わりの年に油注がれた者メシア(王)が来る。
69週の終わりの年に → 70週目に入ります。
26節;62週ののち、メシアは殺される。 破壊の君主が都を滅ぼす。
27節;1週:70週目=最後の残りの7年に、メシアは多くの者と契約を堅くします。
1週の半ば= 3年半に、メシアは犠牲をやめさせます。
動物の血ではなく、イエズス・キリストの神御自身の血で聖櫃(アーク)にふりかけられ、ただ一度による永遠の罪の贖いを十字架上で成し遂げられた。
(ヨハネの福音19:30)
ついに、荒らす憎むべき者:破壊者自身が定められた通りに自滅します。
ダニエル書:この個所は、特に誤った解釈をしてしまいがちなところです。 日本の聖職者・神学者たちの多くは、ここでつまずくため、ヨハネの黙示録も誤った解釈をしてしまいます。 この原因は、聖書を日本語に訳された時点に起きています。 神の霊に導かれず、人間の知識と頭脳に頼るからです。
「彼は」が、「メシア」にかかる言葉か、「荒らす者の憎むべきもの」にかかる言葉なのか・・・。
残念ながら、日本語訳出聖書を比較してみましたが、ヨハネの黙示録に登場する「獣」の影響からか、
どれも、「荒らす憎むべきものが犠牲をやめさせる」ように書いてあるため、これが新たな時間的食い違いを派生し、逆にヨハネの黙示録にまで影響しています。
現代はまだ、「メシアは多くの者と契約を堅くする」時間の中にあります。
これは、「異邦人が入ってその数が満ちる」時までのことです。
(4) 起算年詳細:批判比較文書として参考までに下記HP。
http://www.kingdomfellowship.jp/Characters/Daniel.html
紀元0年はないことに注意。 この時間のカウントの方法についていくつかの解釈があります。 すなわち1年を360日とする聖書の記述に従うと、483年とは、 483×360=173880日であり、1年を 365日で数えると 173880÷365=476.4年となります。 ただし、閏年を調節しますと、エルサレム再建令が、アルタシャスタ王によって出されたBC445年 3月14日から数えますと AD32年 4月 6日となり、この日にイエズスは、ロバに乗ってエルサレムに入ったと言われています
(→詳細は、
http://www.juntakaki.com/cgi-bin/library.apc?list=s&cid=12&file=html)
(5) 紀元前536年に、キュロス(クロス)王は、ユダヤ人が宮を再建することを許可しました。 BC520年には、ダリウス王が、この命令を再発令。 BC515年に宮が奉献されるにいたりました(エズラ書 6:13〜18)。
(6) 例えば、BC 465年チスリの月(前464年)と ニサンの月との間に書かれたユダヤのエレファント・パピルスには、「アルタクセルクセス即位の年」と明記されています。 そして、四つの古代資料の年代記は、いずれも、アルタクセルクセスの第7年が、前458年春のニサン(1月)から、前457年春のアダル(12月)まで、という点で一致しています。
「苦しみの時代に、広場と石垣は 建て直される」
「広場」とは、神殿の前広場のことで、「石垣」とは、町を包囲する城壁のことです。
(7) [注] ネへミヤ記第3章で、ネへミヤは、「補修」という語を33回出しています。
このような困難を経て、52日かけて、ついに修復工事は完了しました。
BC 444年のこの城壁の建設は、預言された「新しい」壁の建設ではなく、敵が崩した壁の修復のことです。
(8) 参考文献:アンナ・カタリナ・エンメリックと言う幻視者の著書
「キリストのご受難を幻に見て」
(9) 旧約脱出30:10
「アロンは、年に一度、祭壇の角に償いの式をしなければならぬ。 償いのいけにえの血で、アロンは、年に一度、祭壇を清める。 世々にこれを受け継げ。 この祭壇は、特に主に聖別されたものである」。
「レビの書16章1〜34節」参照してください。
【 要 点 】
年に一度の日=「キップルの日」、第七 (ティシュリ) の月 (9月,10月) の10日。
大祭司は、自分と自分の家族の罪償のいけにえとして若い雄牛をささげ、民の罪償のいけにえとして雄やぎをささげ、あがないの式をそれぞれ行います。 若い雄牛の血を取り、指でカポレットの東側に血をふりかけ、カポレットの前には、指で七たび、血をふりかけます。 雄やぎの血も同じようにカポレットの上と前に血をふりかけ、大祭司とイスラエルの子らの不浄と、あやまちと罪とを償うために、罪償のいけにえの式を行います。
聖所の中に入る時から出てくるまでの間は、大祭司以外に誰も、出会いの幕屋に入ってはいけません。
さらに、主の前にある祭壇のためにあがないの式を彼自身と家族とイスラエル全集団のために行います。 すなわち、若い雄牛と雄やぎの血を取って、祭壇の四隅の角に塗り、その祭壇に七たび血をふりかけ、祭壇を清め、イスラエルの子らの不浄からこれを聖別します。
※ 「カポレット」 = 「イラステリオン」 = 「償いを行うもの」 = 償いを行う道具のことです。
言語の語源は不明。 << 聖櫃の蓋 >> というだけの意味ではありません。 これに大祭司は、年に一度、いけにえの血を注ぎました。 聖パウロは、「イラステリオン」をキリストに当てはめ、「償いとなだめ」として、
信徒に教えています(ローマ 3:25)